村上春樹を英語で読むと、何が変わる?――英訳で消える「日本語の違和感」
多読みなさん、唐突ですが、村上春樹さんは好きですか?今回のブログでは、世界的に愛されているこの作家について、ちょっと考えてみたいと思います。
独特の文体はどうやって生まれた
村上春樹さんが、アメリカ文学やジャズの愛好者であり、執筆時に英語で書いてみて、それを日本語に翻訳するという手法を用いていたことは有名な話ですね。すごくユニークな方法を考えたものだと思います。そうやって生み出された文体は、日本語の土着性が限りなくそぎ落とされたもので、日本の読者はその独特の作品世界のみならず、そのどこか日本語離れした、村上さんの美意識ムンムンの文体に強烈な違和感をもち、魅了されたのではないでしょうか。
ふと気になるのが、「この違和感は英訳されるとどうなるのか?違和感は残るのか?」ということ。
redditを検索してみた
そこで、"reddit murakami haruki writing style" で検索をかけてみました。出てきたスレッドの一つがこちら →https://www.reddit.com/r/books/comments/4qkkzu/haruki_murakami_and_his_style/
あるユーザーは「正直、一文一文で見るとdullだと思う」と書きながらも、「でも全体としては引き込まれる」と続けていました。
そのシンプルな文体がヘミングウェイを想起させると言っている人もいますね。日本人読者が抱くような感想は見当たりません。まあ当然といえば、当然でしょうか。
興味深かったのが、スレッド主は村上の作品を「石の周りに砂を掃いた禅の庭のよう」と表現し、他のユーザーも「せせらぎのような」「煙のような」といった、どこか瞑想的で東洋的なイメージで語っていたことです。これは予想外でしたね。
日本人読者の特権
つまり、私たちが村上作品を味わうときに感じる「洗練された雰囲気」「バタ臭さ」「日本語なのに日本語じゃないみたいな居心地の悪さ」なしに、海外の読者は純粋に物語の世界に没入できるということではないでしょうか。
これは、余計なノイズなしに作品を楽しめるともいえるし、村上作品の醍醐味が味わえなくて気の毒ともいえる。
(筆者も、きりっとした文体のなかに、どうにもこうにも漂ってくるナルシシズムのようなものも喰らいつつ、身悶えしながら読むのを、ひそかに楽しんでます😅)
さらに、関西出身者となるとその醍醐味も倍増する、というのが私の意見です。彼は18歳で上京するまで、京阪神地区で育っているので、まあ生粋の関西人と言っていいと思います。
ちょっと説明するのが難しいんですが、関西人にとって標準語を話す、というのは想像以上に内的葛藤を伴う行為です。「あいつかっこつけやがって」という周りの目以上に、自分自身がすごく苦しいんですね。
村上さんも関西時代は、「お母ちゃん、ちょっと醤油とってえな」とか「今日のそうめん、ちょっとゆですぎちゃうか?」とか絶対言ってたはずなんです。そこをどうやって乗り越えて、あのスタイルまで振り切れたのか?この驚きは、特に関東圏の読者にはちょっと想像がつかないほどのものです。
そう考えると、村上春樹を読むとき、日本人で、しかも関西人であることには、ちょっとした特権があるのかもしれません。
今回は村上春樹さんについてお話ししました。
英語学習の基礎を終えて、いよいよ洋書に挑戦してみようという方は、まずは日本語で読んで面白かった本を選んでみるのがおすすめです。ストーリーをすでに知っていれば、わからない単語や表現が出てきても、前後の文脈から意味を想像しながら読み進めることができます。
そして、今回のお話のように、日本語で読んだときの印象と、英語で読んだときの印象を比べてみるのも、洋書の楽しみ方の一つですね😉